『野菊の如き君なりき』木下惠介 リリシズム溢れる珠玉の名作。ただただ、美しい!!

木下惠介の作品を観まくる「木下惠介作品マラソン」(勝手に命名)

今回は4本目!『野菊の如き君なりき』をアマゾンプライムの「松竹プラス」チャンネルで観ました!

モスコ

原作はあの有名な『野菊の墓』!
さぁ木下監督はどんな風に料理しているのかな?ワクワク

原題:野菊の如き君なりき (1953)

監督:木下惠介

配給:松竹

上映時間:92分

あらすじ

久々に故郷を訪れた老人が、今では遠き少年の日々を回想していく……。旧家に育った政夫には2歳年上の従姉・民子がいた。ふたりは淡い恋心を募らせていくが、それに気づいた大人たちは民子に縁談の話を持ちかけ……。
 

Amazonより

モスコの採点:★★★★  4点 / 5点満点
美しい日本の山の風景が忘れられない。なんとも切ない淡い恋のお話

 スタッフ・解説

スタッフ

  • 脚色:木下惠介
  • 原作:伊藤左千夫『野菊の墓』
  • 製作:久保光三
  • 撮影:楠田浩之
  • 音楽:木下忠司
  • 美術:伊藤熹朔
  • 編集:杉原よ志

いつも素晴らしい仕事振りの撮影の楠田浩之ですが、今回も古き良き日本の中の”叙情的な風景”というものを、見事に作り上げ映し出している。

作り上げ、と書いたのはこの映画、ロケだけではなく、かなり大掛かりなオープンセットを組んだシーンもあるからです。

それとこの映画はメインが回想シーンですが、その回想シーンでは白い楕円形の枠がつねに飾られています。

これがかなり冒険的。

この楕円形の枠の撮影方法について長谷部日出雄『新編 天才監督 木下惠介』驚愕の事実が描かれていました。少し長いですが、以下引用

実際の撮影は、キャメラのレンズにかぶせられるデイバイザー(=日よけ。普通にカメラのレンズフードにあたる)の四角い開口部に、横長楕円形の穴を開けたトレーシングペーパーのマスクを貼って行われた。

しかし、それだけでは、マスクは薄い影にしか写らない。それを白くするために、のちに名キャメラマンとして知られる撮影助手の成島東一郎が、左右二灯の小さなライトがカマキリの脚のように、キャメラの両側から突き出して、マスクに明かりを当てる仕掛けを工夫した。

マスクの白さを一定に保つために、ロケーションとセット撮影の違いによって、そこに当たる光の量を加減しなければならず、またレンズの絞りによって枠のボケ具合が微妙に変わってくるから、その点についても穴の大きさが少しずつ違うマスクを幾枚も用意して、一つ一つのカットごとに、ちゃんと統一されるよう綿密に調整しなければならない。

『新編 天才監督 木下惠介』長谷部日出雄 より

こ、これほどまでに苦労していたとは…。

今なら作るのにはなんてことのない効果ですが、昔はここまでして、こだわって手作りで作っているということ、そうまでしても絶対にこの枠にしたかったという監督のこだわり、そして製作陣の鬼のような工夫と苦労の数々に改めて感動しました。

この枠の中でこそ生きた、哀しい物語なのかもしれません。

出演者・解説

  • 政夫:田中晋二
  • 民子:有田紀子
  • 老人:笠智衆
  • 栄造:田村高廣
  • お増:小林トシ子
  • 政夫の母:杉村春子
  • 民子の姉:雪代敬子
  • さだ:山本和子
  • 民子の祖母:浦辺粂子
  • 船頭:松本克平
  • 庄さん:小林十九二
  • 民子の母:本橋和子

この映画はキャスティングが抜群だと思います。

特に主役の2人。

田中晋二有田紀子というほとんど素人の役者を配したことによって、この政夫と民子の持つ無垢さが存分に表現されています。

その2人をガッチリ脇で固めるのが、ベテラン杉村春子

ほとんど2人の味方であるようにも見えますが、反対に別れにトドメを刺してしまう、その優しさと優柔不断さの共存する複雑な人物を難なく演じ、この悲劇に説得力を持ち込んでいます。

そして2人のおばあさん役の浦辺粂子もよかった。

「民子の気持ちをもっとわかってやれ!」と自分の子供たち(民子の親や民子の叔母・杉村春子)を叱咤するシーンが切ないです。

あと民子に意地悪を言い続け、いびり続ける さだ に山本和子

彼女は木下作品によく出ていますが、この映画でも本当に憎らしくなってくるほど、上手かったです。

『野菊の如き君なりき』感想

日本の山の美しさ

半ば強引に学校に行かされる政夫が乗る船出のシーンの、霧が立ち込める水面の美しさ。

夕焼けがきれいだと、夕日に手を合わせて拝む政夫と民子の後ろ姿。

この映画にはいくつもの忘れがたい、心を打つ美しいシーンがあります。

一番感動したのは、民子が結婚したと知らされた時の、政夫の学校の校庭の向こうに見える山々の美しさ。

政夫の無念さえもその大きい懐に抱き、黙って見届けているかのようなその姿。

日本の山はこんなにも美しい。

政夫と民子の悲劇とは

小津安二郎の『秋刀魚の味』のシーンで娘の結婚式の帰りに

「あら、お葬式ですか?」と訊かれ

「ウーム…まぁ、そんなもんじゃよ」

と笠智衆が応えるというものがあります。

うまいセリフだなぁと感心していたのですが…。

これ冷静に考えてみれば、父親である笠にとっては

【娘が他の男のところへ嫁ぐ】

=娘は死んだもの

=お葬式の参列

ですが、当の花嫁にとっては

「死」

を意味しますからね。たまったもんじゃありません。

この映画の民子の親たちにしろ、結婚に苦労があるのは大前提で、それにしてもお金がある家に嫁げるし、好きな人があれどいずれ忘れるだろうし、ここに片付くのは悪い話じゃない。そう思ったからこそ、すすめたのでしょうけど…。

この民子にとっては政夫以外のところに嫁ぐことは、文字通りの「死」を意味していました。

2人が仲良いことをからかったり、いじめたり、陰口を叩いたり。

家でも外でもそんな人たちばっかりで

モスコ

自分ら、ヒマか!

ついそんな風に思ってしまうほど、昔の狭い村の意地悪な噂話というものの醜さを感じさせられます。

「僕たちなんにも悪いことしてないのにね」

2人がなんども確かめ合うように言い合うのが、切ない。

どうも映画を観ていると、「いとこ同士」だからダメなのではなくて「女の方が年上」だからダメな風に言っていますね。風土的なものなのでしょうか。

美しい風景に、美しいが故に悲しすぎるお話が映える。

木下惠介の抒情詩的、リリシズム溢れる作品としては『二十四の瞳』に並ぶとも劣らない珠玉の1本ではないかと思います。