『ロケットマン』感想。心がぐちゃぐちゃ。だけどやっぱり観てよかった

観てるときは余裕だったんですよ。

「僕の歌は君の歌」Your Song ができていくシーンでは激感動してツツツーと静かに涙を流し続け。

「うちの遺伝だからハゲるよ」と言う母ちゃんにビビるシーンには笑ったし。

「えー!エルトン・ジョンの”ジョン”ってそこー!マジー!?」とびっくりしたし。

ステージ上のエルトンがロケットになって飛んでくシーンでは

「あちゃちゃ、ちょっとトンデモな部類に足突っ込んでんぞ、この映画 笑」

とか思ってたし。

全体的にタロン・エジャトン?エガートン?いいな、演技と歌かなり頑張ってる、いいいい!と思ったし。

やっぱ映画観る前からずっと予測していた通り、バーニーはいいやつ!だったので、嬉しかった!し。

観終わった直後も、「うーん、どうブログに書こうかなぁ?」とか思っていたのに…。

原題:Rocketman (2019)

監督:デクスター・フレッチャー

採点:採点不能。強烈な体験でした

帰り道、気がつけば泣きながら歩いていました。

ときに、涙が止まらず、嗚咽してしまうほど。

 
 

そして家に帰ってからもしばらく泣き続けたり、放心状態になったり、異常なまでに疲れたりして…。

なぜでしょう。

 
 

あのね、これ、今から書くのは映画の感想とかじゃないんですよ。

なので、普通に映画の感想やレビューをお読みになりたい方は、この先読む必要ないかと思われます。

ほんとに個人的なつぶやきです。心の叫びです。

 
 

 
 

思うんですけど、この映画を冷静に、というか普通に批評なり感想なり思える人、書ける人というのは、幸せな人なんです。

 
 

私は…完全にトラウマになりました。

 

試しにね、探してみました。他の人の感想を。

他のどんな感想を読んでも、ちゃんとした感想でした。

私のように思った、心がぐちゃぐちゃになった人は他に見当たらなかった。

そんなわけで、とてもじゃないけど、自分のこの感想というか体験というか思いなんかは、ブログに書けるようなものではない、そう思いました。

1つの娯楽作品、としてはとうてい受け入れられなかったのです。

自分にとってあまりにリアルすぎて、ヘヴィすぎて。

でも、もしもこの映画を観終わって、私のようにぐちゃぐちゃになった人がいたとしたら。

その人のために書きたい、1人ではないよと伝えたい、そう思いました。

それでこそ書く価値があると思ったから。

そしてもちろん、自分の感情も整理するため…。

 
 

なぜここまでぐちゃぐちゃになったか。

どうも、自分の傷はまだ癒えてなかったんだと再認識させられたようです。

 
 

観終わってから半日は経っているのにこの異常な疲れ方は、受けたことはないけれど、きっとドンピシャなカウンセリングとか効果的な療法とかを受けたら、きっと今のような状態になるんだろうなぁと思わせるものでした。

だからといって全然スッキリしているわけではないのですけど。

 
 

もちろん、世界的スーパスター(この言葉がこんなに似合う人もそういない)であるエルトンと私では全く何もかも違うわけです。

 
 

でもある1点で一緒なんです。

 
  
 

それは幼少期の心の傷が、人生にかなりの影響を与えているということ、この1点において、スーパースターのエルトンと普通人の私も、全く同じなんです。

 
 

それは愛着障害と言い換えても説明できるでしょう。

たぶん。

 
 

彼は莫大な成功を収めたおかげで、そのプレッシャーも尋常ではなかったし、金銭的にもなんの躊躇もいらなかったため、破滅の道行きが派手だっただけで。

私なんか地味な一般市民で、ドラッグはもちろん、お酒すら飲めない体質だし、まぁ軽く過食と買い物依存ははあると思うけど…。

で、私の場合は、冷静に考えるとそこまでひどいものではないかもしれないし、たくさんの人に助けられ支えられて今があるのだと感謝するべき人生なんだけど。

でも、傷は一緒だった。

だからもう泣けて泣けて仕方なかった。

彼の苦悩の本質がいちいち自分にも刺さってくるのです。

 

自分では今はもう落ち着いているつもりだったけど、でも、やっぱ全然だったんだよ。

何も解決はしていないんだよ。

そう教えられました。

ショック療法ってこういうのをいうのかな?

でも、その傷をえぐり出すだけえぐり出しておいて、そのまま放っておかれるんだから、キツイよ、この映画。

最初はそう思いました。

それほどこの映画はキツイ体験でした(ね?そんなこと他に書いてる人いないでしょ?)

 
 

普段はフタをしているような自分の心の暗部を、まざまざと大スクリーンで延々と見せられ続けたような、そんな感じ。

観ている間はエルトンの歌や、役者たちの演技、見事な再現だった様々な魅力的な衣装などに心を奪われていたので、観終わってからガツンときたのでしょうね。まったく…。

そりゃあ彼の両親の不和、親の悪影響のことなど、少しは前知識もあったので、何も知らずに望んだわけではなかったのたですが、それにそういうような題材を扱った映画やドラマやドキュメンタリー、本など、今までにも全く接してこなかったわけではないはずですが。

 
 

他のどんな作品とも違って、こんなにも心をかきむしられた体験は今までありませんでした。

 

だからってその体験がイコール映画の評価にすぐさま繋がるわけでもなく、ただただリアルに自分の中に食い込んでくるわけです、今でも。その心象描写の映像が。

タロン・エジャトン(エガートン)演じるエルトン・ジョンの不安そうな表情が。

 
 

観終わったあと、出口に向かう通路で3人組の奥様たちがしきりに「かわいそう、かわいそう」と言っていて、そのときは微笑ましく思っていたのですが。

 
 

あとから泣きながら、自分はとてもじゃないけれど、人ごととして「かわいそう」と言えない、と思うと悲しくなりました。

 

とは言っても、子供が帰ってきたら普通にお母さんの顔をしなくちゃいけないし、やることやらなけりゃいけない。

というかむしろ、今日はいつもより優しくしてあげたい。

そして、ありがたいことに、今の私にもバーニーがいる。

ダンナに、時間があるときに少し話を聞いてもらおうと思う。

映画では立ち直ったきっかけとして、不仲な年月はあっても、変わらず支えてくれたバーニー・トーピンの存在がありました。

これが「愛」じゃなくってなんでしょう。

人は愛で壊れるけど、また愛で立ち直ることができる。

ただし、相当な努力と意思と時間と知恵と忍耐が必要。

今現在のエルトンに思いを馳せ、強くそう感じました。

劇中、エルトンの、どれほど苦しんでいてもステージに上がればそこで人が変わったように過剰なまでのエンターティナーとしておどける姿、を観て胸がきゅうっと切なくなりましたが、あの矜持を自分の人生にも持ちたいと強く思います。

無理はしなくていいけどね。

しばらくはダメージを味わいつつ、暮らします。

今まで通り、家族に支えられながら、周りの人々に助けられながら、そこに感謝をしながら、自分にできることをしていきます。

それが私の人生なんだから。

 
 

ふぅ。少しスッキリしました。

書けてよかった。

そして強烈な体験だったけど、観てよかったです。

特別な作品です。