『so kakkoii 宇宙』小沢健二。「彗星」レビュー。




いやぁついにこの日がきましたね。

わざわざフラゲするのとか何年振り。

いそいそと発売日前日に買いに行く、ワクワクとした気持ちとそのウキウキな足取り。

CDプレイヤーをパソコンに繋げてインポートするその行為の懐かしさ。

そしてそれより何より、子供のとき、すんごい好きだったもの。

それは、歌詞カードを見ながら、アルバムを聴くこと。

その時間の尊さと楽しさを思い起こさせてくれてありがとう『so kakkoii 宇宙』

そして、CDのケース、帯、歌詞カード、すべての、今までのその歴史を覆すよな破天荒ぶりでいちいち楽しませてくれてありがとう。

そう、CDだって楽しかったんだよ。アナログに負けてなかったよ。

CDという存在にスポットを再び当ててくれて、ありがとう。

歌詞カード、まるくて柔らかいイメージなんだけど、アシンメトリーで不規則で揃っていなくて、いびつで、キレイで、出し入れとかにも、いちいちちょっとだけわずらわしくて、ありがとう。

(帯、もありがとう)

そしてジャケット。見てて思わず笑みがこぼれてしまうかわいさで、生きてく元気をもらえるような笑顔で、どうもありがとう。

そしてそして、聴き込んで、あぁ人生のこの時期はこのアルバムを聴いて生きていたんだよなぁと思い出させるようなアルバムを再び、ありがとう、小沢健二

『so kakkoii 宇宙』収録曲

2019年11月13日リリース

M-1 彗星
M-2 流動体について
M-3 フクロウの声が聞こえる (魔法的オリジナル)
M-4 失敗がいっぱい
M-5 いちごが染まる
M-6 アルペジオ (きっと魔法のトンネルの先)
M-7 神秘的
M-8 高い塔
M-9 シナモン (都市と家庭)
M-10 薫る (労働と学業)

M-1「彗星」レビュー

以前、この曲が先行シングルとして配信された時、記事を書きました。

あれから1ヶ月ほどが経ち、自分の中でも浸透されてきました。

だけれども!

歌詞カードを手にしながら聴いていると、何回も何回もリピート聴きしていても。涙がじわじわ出てきます。

まずは歌詞のお気に入りの部分や思ったこと、です。

 

 

そして時は2020年 全力疾走してきたよね

イントロなしでこう歌われて始まる「彗星」

この「そして」で始まるの、コレ最強なんですよね。

どの曲聴いても、例えば、この『so kakkoii 宇宙』のアルバムのラストの曲「薫る(労働と学業)」の終わりにこの「彗星」を繋げて聴いても、つまりアルバムをリピート再生しまくっていても「そして」で始まるからすんなりすぎるくらいすんなり繋がる。

それは小沢健二全盛期の90年代の曲から繋げても同じことが起こります。

いや、むしろこの曲の持つ1995年から2020年のその間の時空間を自由に行き来するような魅力をより際立たせることが、起きます。

「天気読み」からの「彗星」

「愛し愛されて生きるのさ」からの「彗星」

「強い気持ち・強い愛」からの、「ある光」からの、「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」からの、「彗星」

いちどやってみてほしい。

すっごいすんなり聴けて、しかも小沢健二が歩んできたこれまでの重み、自分の人生で流れてきた時間の重みみたいなものを感じることができるかも。

 

 

儚い永遠をゆく 波打ち砕ける

この”儚い永遠”というのが、たぶん、人生とか、自分が送ってるこの時の流れとか、そういったものを表した言葉の中でも素晴らしいものだなぁと思いました。

儚いけれど、永遠。見方を変えれば、どちらも真実。

1995年のシングル、「さよならなんて云えないよ」

僕は思う この瞬間は続くと いつまでも

という歌詞に完全に呼応している。

自分の中でなにかが拡がっていくような歌詞。

瞬間だけど、いつまでも続くと。

 

この曲のPVも、視点が蜂のものになったり、小沢健二の視線(まぶたが写ったりするのだけど、人が物を見る時、実際はまぶたなんて見えない。だけどあれはそういう表現なのです)、はたまた地球規模で俯瞰したり、マインド的に裏の世界にいったり(この地点を起点として裏のパラレルワールドがある様子は『ストレンジャー・シングス』にも通じますよね)。

マクロとミクロ、表と裏、今と昔。

あらゆる”視点”や”時間”を自由自在に行ったり来たりするビデオで、曲そのものの言いたいことを映像的によく表しているなぁと感動します。

 

 

このビデオのね、どんどん高揚してくサビのとこでアニメになるでしょ?

あのアニメね、なんか泣いちゃうんですよね。

生きてることの奇跡とか、生命の不思議とか、でも日々は淡々と流れてとか。

うまく言葉にならないものがあのアニメーションになってるような気がして。

その”うまく言葉にならないもの”を言葉にしたサビんとこの歌詞

あふれる愛 止まらない泉

はるか遠い昔 湧き出した美しさは ここに

この部分を視覚化したような感動を覚えるんです。

小沢健二は「今」しかない「今」を、言葉に歌にするということを意識的にやっている人だと思います。

「今」には儚さと永遠があるのだと気づかされます。

 

 

今遠くにいるあのひとを 時に思い出すよ

笑い声と音楽の青春の日々を

再生する森 満ちる月 続いてゆく街の

空を横切る彗星のように

ここは小沢健二の1990年代に欠かせなかったスカパラのドラマー、青木さんのことや、当時周りにいたであろう人々のことを思い起こさせます。

と同時に自分のあの青春の日々と、そこにいた今はここにいないたくさんの人々を思い出させるのです。

タイムラプスで撮影した森の上空をサッと横切る彗星のように、年月が過ぎる、過ぎてきたその速さに、その間に流れていた人々との日々に思いを馳せることのできる歌詞なのです。

彗星が横切るのは一瞬だけど、その一瞬に、過去の日々を、人々を、そこに流れていた空気を、思い出す。

ここにも今と過去が、永遠と儚さを持って同居しています。

自分の中の「思い」と森の上空を横切る彗星の「映像的」なものがこんなに鮮やかにスマートに繋がっているのもすごいなぁと感じます。

 

 

今ここにある この暮らしこそが

宇宙なんだよと

今も僕は思うよ なんて素敵なんだろうと

このサビこそがこの曲の肝だと思います。

澄む闇 点滅する赤いlight 脈を打つよ街と

空を横切る彗星のように見てる

この生きている奇跡を謳歌して、愛があふれている曲に、ちゃんと”闇”がある。

このことも重要だと強く思います。

点滅する赤いlight”とは果たして。

澄む闇”とは果たして。

情景として、点滅する赤いLightは、街をゆく車のテールランプかもしれない。

澄む闇も、ただの空気の澄んだ、夜の街の風景のことなのかもしれない。

だけれど、(澄んではいても)はそこにあるので、自分の中の警告ランプとしての点滅する赤いlightなのかもしれませんね。

 

 

あふれる愛がやってくる

その謎について考えてる

高まる波 近づいてる

感じる

こうしてこの曲の歌詞は幕を閉じるのですが、なんとも光の中に進んでいくようなイメージで終わるのもいいです。

そして大ラスでファルセットで感じるぅぅぅ〜とわざわざ歌われることによって、”感じること”が肝心なのだと気づかされます。

日々は彗星のように過ぎていく。

そんな中でもできるだけいろいろ感じていきたいなぁと、切に思わされます。

 

 

「強い気持ち・強い愛」や『LIFE』収録曲などの陽性の爆発力のある曲を正当に引き継ぐものを、さらにパワーアップして大人になって帰ってきて作って歌う。

不在の時に、大人になった人たち、不在の時に生まれ、今大人になってく人たちに歌う。

ほんとうにこの曲の多幸感といったら。

2019年、11月12日の飛ばせ湾岸 2 nightsのライブ。

小沢自身が、「ここにいないみんなに」演るのでその様子を録画してSNSにあげろと、当日ライブ会場のオーディエンスに指示しましたw

そして素晴らしきファンたちは、こぞって Twitterにその動画を続々と上げてくれました。

1日目は「アルペジオ」、2日目はこの「彗星」。

この「彗星」を演奏して歌う小沢健二の姿はちょっと忘れられないもので。

まるで1980年代の売れないネオアコバンドのように、汗をかき、全身を揺らしてリズム・ギターをシャカシャカ掻き鳴らしていたのです。

ギターロックは疾走していなくてはいけない、その見本のような姿。

まるでその出自を思い出したような、ソリッドな演奏のライブであったことが垣間見れるようで、素敵でした。

このアルバム先行ライブを、ギター✖️2本、ベース、ドラムと、バンド形態にしたところも興味深いです。

1曲でこんなに長くなってしまいます。困ったものです。

続きます。

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