『ハーフ・オブ・イット: 面白いのはこれから』Netflix 感想。よかったーー!

この映画の最初の3分で、あぁこれはいいと思った。そして続く15分くらいでは最高!最高!最高!最高!と心の中で喝采を上げていた。そしてその後は気づかぬうちに粗探しをしていた。

「こんな最高な映画あるはずないじゃないか、どこかおかしくなってくるはずだぞ」

それは防衛本能のようなもので。あとで傷つくのがいやで、自らいらぬ先回りをしてガッカリするのを防いでいるつもりなのだ。

実際、粗は出てきた。

かわいすぎるのだ。優しすぎるのだ。

敵役みたいなものがまずいない。主人公エリー・チュウの名前をもじってからかう男子生徒やせいぜい(と言っても大変なことだけど)学校の発表会のピアノに細工をする程度。また主人公・チュウが恋するアスターの彼氏は憎まれ役かと思いきや、ただのアホで、エリー・チュウに簡単に惚れるような始末。

浅いと言ってもいいのだけれど、でもそれはわざとの浅さだ。

なぜなら敵や葛藤や障壁は、彼ら、男子生徒たちではなくエリー「自ら」の中にあるから。

そんな内向的な性質の作品なのに、重くならずむしろ口当たりが軽い。思わず吹き出してしまうようなユーモアもたっぷり。この軽さをよしとできる人にとっては相当愛せる作品になるでしょう。

私はすっごく愛せます。

原題:The Half of It (2020)

監督:アリス・ウー

配給:Netflix

上映時間:105分

あらすじ

アメフト男子に頼まれて、ラブレターを代筆することになった成績優秀なエリー。お陰で彼との友情は芽生えたけれど、彼と同じ女の子が好きな心の内はかなり複雑…。

『ハーフ・オブ・イット』見所・感想

この映画の大きなポイントはその ”見せ方”、”切り取り方” なのだろうと思う。

センス一発とでも言うべきか。脚本・演出・撮影・編集がかなりしっかりと繊細にコントロールされていて、観ていて心地が良いのです。

ラブレターの代筆をめぐる三角関係という、もともとの話の筋自体が古典戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」をベースにしているため、同じく「シラノ〜」をベースにした傑作映画スティーブ・マーティン主演『愛しのロクサーヌ』(’87)を、思い起こさずにいられませんでした。大好きなんです。『愛しのロクサーヌ』

だけど決定的に現代的だなぁと思うのがやはりラブレターを代筆する教養ある人物の方、つまり『愛しのロクサーヌ』ではスティーブ・マーティン演じる人物が、映画の舞台であるアメリカの小さな町では徹底してマイノリティであるアジア人(この場合中国人)かつゲイ(or バイセクシャル)であるというところ。

きれいで教養もあるステキなとある女性に恋する、女性と男性のお話。

けれどもとりたててLGBTを強調するわけでもなく、女性が女性に恋する様を淡々と普通にさらりと描いたところに好感が持てます。これはこの映画の監督アリス・ウー自身が主人公と同じアイデンティティー(人種的にも性的にも)であることが大きいのだと思います。

一番魅力的な登場人物は、2人が恋する憧れの女性…ではなくて、やはり主人公エリー・チュウ。

青春真っ只中の高校最後の日々。化粧っけどころかファッションにもまるで興味なく、あるのはひたすら内的なもの、つまり文学、映画、音楽、哲学であるエリー。

本を読みすぎている人あるあるで、文章作るのうますぎて学校のレポートの代筆をしている。それが講じてラブレターの代筆をするハメに。

家に帰れば半ば死んだような父親(仕事や伴侶をなくし意気消沈中)とご飯を食べながらTVで映画鑑賞。主に昔の作品。

『カサブランカ』、『ヒズ・ガール・フライデー』、『ベルリン・天使の詩』などを観ては「ここからがベスト・パート(いいところ)なんだ」といつも言っている父親。邦題もこのセリフを掛け合わせているのでしょうが、こういった濃ゆい作品たちやあるいは小説の『日の名残り』を拾わせ「カズオ・イシグロはいいわね」と憧れの女性アスターに言わせるあたり、小道具がいちいち内向的な文系、映画ファンをうなづかせるものなのが、ニクい。

あぁ、彼女が住んでいる世界は見覚えがあるし、彼女の目を通して語られる世界も知っている。アイデンティティーだけではなく性格的にも内的なマイノリティな人が住む世界というものが、この映画の舞台であり、そこがかなり魅力的に映ります。

実際なかなかないんですよね、この手の内向的な女性が主人公の映画は。しつこいようですがしかもアジア人でセクシャル・マイノリティ(の可能性、だけれど)。

あってもものすごくカリカチュアされてコメディ味が強すぎたりして余計にゲンナリさせられる。

この映画の主人公・エリー・チュウはそこにありのままで存在することが許されている。そこがこの映画の大きな快感。

ただ非常に徹底的に孤独。

だからこそ、自分の大事な部分と分かり合える人が現れた時の強烈さはすごい。

エリーの憧れの女性アスターもまた、学校のヒロイン的な立ち位置とは裏腹に絵を描いたり文学を愛する内向派。

エリーとアスターが手紙やメールでやりとりする内容が、そういったヴェンダースカズオ・イシグロなどの小道具を介してお互いの存在、精神、などをわかり合うもので、本当の自分の理解者に出逢えた喜びが初々しいし、観ていて胸が痛む。

アスターがエリーを試すように誘う温泉のシーンも美しかった。温泉に浮いている水面にもう半身が、まるでもう1人の自分を表すかのようにくっきりと写っている。

そして、美人でかしこくてモテてというアスターが上半身だけ浮かしている殻の破れなさに対し、ポッカリ全身を湯にまかせ浮かせているエリーの自由さ。

撮影もとても美しいものが多く、本当に小さい町の出来事だということがよくわかる、その閑散とした景色がいい。余白が多いのでその分余韻や思い入れも増す。この下の写真のような下校?シーンがいいんだなぁ。

真ん中の車線で分断されていることが重要で。

ラスト、再度人と人との間に車線が出てくるのだけれど、2人で車線を挟み並んで平行線に歩くシーンはヴェンダース『パリ・テキサス』の親子の下校シーンを思い起こさせて胸熱だし、そこを超えてきて起きるドラマには胸がすく思いがし、映画を観る喜びに浸りました。

 

この映画は本来であれば2020年4月にトライベッカ映画祭にてプレミア上映が予定されていたが今回のコロナの流行により映画祭が延期となり中止に。

もともと配信主体の作品だったのかもしれませんがNetflixでこういった今年出来立てホヤホヤの質の高い作品が観られることはありがたい。

個人的にも子供の学校が休校し自粛生活を3ヶ月ほど余儀なくしていた終わりの方、少しづつ普段の生活が戻りつつあった5月末に、久しぶりにゆったりとした気持ちで1人、1本の映画を最初から最後まで観ることができ、なおかつこうやって久しぶりのブログに感想も書けて、いろいろな意味で大変ありがたかった、特別な1本となりました。

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村


映画ランキング